2017年12月24日

やっと手に入った!! q(^o^)p


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 久々のCD紹介。
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 大村憲司 「春がいっぱい」オリジナル発売:1980年

 Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ)の第2回ワールドツアーのときのサポートギタリスト
 (第1回のときはジャズギタリストの渡辺香津美氏)

 そのツアーのアメリカはチャップリンメモリアルスタジオのこけら落としライブはフジテレビで衛星中継され、放送事故(よりによってCM明けに代表曲の1つ「ライディーン」が流れたのだが、聞き取るのが大変なほど極端に音量が低く、曲の途中でいきなり大きくなった事故。)も手伝って伝説となっているが、そのツアー中にサポートメンバーの持ち曲も演奏された

 そのときサポートキーボーディストの矢野顕子さんは「在広東少年」という曲を、そして大村憲司氏は「Maps」という曲を演奏したのだが、コレクターとまで行かないにしてもどうしてもそれらの色々なヴァージョンを集めたかったのでスタジオレコーディングの曲を探していた
 「在広東少年」は割とすんなり手に入った というのも当時CM曲でヒットした「春咲小紅」のシングルB面だったためだ。
 しかし、「Maps」はLP盤のみ。 加えて残念なことに大村憲司氏は(記憶が確かなら)42歳という若さで亡くなってしまったこともあって、店頭からはあっという間になくなってしまった

 CDで復刻しても枚数が余り作られなかったのか、ずっと探していた。

 そしてやっと中古で見つけた
 実に探して30年以上。

 久しぶりに音楽を聴いて背筋がゾクゾクした。

 ブルース・ロックとテクノポップ(今の‘テクノ’とは違う!)との融合。
 最近のJポップとは一味も二味も違う、大人のロックというのを知るにもいいアルバムである。
 丁寧に作る、とはこういうことだと知れる1枚である。
posted by アント at 23:29| Comment(3) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

とうとう・・・。(:_;)


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 ネットのニュースで作曲家、富田勲氏の訃報 を知った。
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 つい先日、シンセサイザー普及の功労者としてK.エマーソン氏の記事を書いたばかりだったのに、日本の功労者まで立て続けに・・・とは、個人的にかなり気が滅入る話だ・・・。


 日本の音楽界において、「シンセサイザーは富田勲氏によって公民権を得、イエロー・マジック・オーケストラによって市民権を得た。」と言われる。
 1980年代に入ってシンセ・ブームが起きたときに様々な‘シンセサイザーとは?’的な本が出たが、どの本にも漏れなく書かれていたフレーズだ。

 実際、1964年に(音響研究用ではなく)商業用のシンセサイザーが発売されてから日本で最初にシンセサイザーを購入した人達の一人だった。

 まだ日本の国産シンセはなく海外から輸入するしかなかったが、当時はベトナム戦争の最中 だった。

 そのため税関を通らなければならないものの、検査官はシンセサイザーなど到底知らず、見たこともないスイッチだらけの機械は戦争用の兵器と疑われ 、すったもんだの挙句、セパレートタイプだったシンセの鍵盤の部分だけが通過を許され、肝心の音を合成する部分は通してもらえなかった ・・・という逸話さえ残っている。

 そして何とか税関から残りの部分を返してもらって、いざ音を出そう・・・となっても勿論日本語の取扱説明書などある訳が無く、コンセントを差し込んで適当にノブをいじったりプラグ・コードを結線したが音が出ず 、次の日に電源を入れたら突然音が出て、今度は音が鳴り止まなくてコンセントを抜いた ・・・なんて話がざらだったと言う。


 そんな中、シンセサイザーだけで演奏したドビュッシーの「月光」はグラミー賞にもノミネート(確か日本人初?)された。 色々なテーマ音楽なども作曲し、「新日本紀行」などは聞いたことがある人も多いと思う。

 作曲家であるのに音楽だけでなく音響にも関心が高く、‘ サウンド・クラウド ’という空から音楽が降って来るような舞台公演は世界中で催された。

 他にも前出のイエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O)に初期から参加していたコンピューター・プログラマーであり、シンセサイザーやコンピューターの音データ通信の規格であるMIDI協会の会長も務めている松武秀樹氏は富田勲氏の弟子だ。 大阪万博で作曲家黛敏郎氏が作ったシンセサイザーの音響に驚き、第一人者である富田氏の家に住み込みで弟子入りしたという。 確か昨年、深夜番組「タモリ倶楽部」に2人で出演したので観た人もいるかも知れない。

 今年の11月公演に向けた作品を鋭意作成中だった中、5日、慢性心不全により84歳で亡くなったとのこと。


 日本の音楽界にとっての至宝&生き証人がいなくなってしまったのは、とても残念で済む話ではない。

 謹んでご冥福をお祈りします・・・。
 (-人-)

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2016年03月16日

K.エマーソンの訃報に接して思うこと。


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 キーボード奏者、キース・エマーソンの訃報をまだ引きずっている アントです・・・。

 一般的な認知度は正直少ないかも知れませんが、音楽業界 や鍵盤奏者 など一部では神様 扱いされるほどの人でした。

 自分も少なからず感銘を受けた人なのでちょっと功績なども含めて記事にしようと思います。



少々長くなりますが興味のある方はどうぞ・・・。
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2016年03月12日

「そんなバカな・・・! (:_;)」


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 イギリスのプログレッシブ・バンドの勇、EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)の伝説的キーボーディスト、キース・エマーソン氏が亡くなった 、という報道が入りました。

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 (写真中央のCDの左右上部に写っている野球帽を被ったキーボーディスト)
 大好きなミュージシャンの一人で、ライブも勿論観に行ったことがあるグループだっただけにショック です。
 
 1964年、世界で初めて商業用のシンセサイザーがアメリカのモーグ博士によって作られました。
 その‘楽器’にいち早く可能性を感じたキース・エマーソン氏は、そのシンセサイザーが余りに大きいので持ち運びが出来るようもっとコンパクトにするアドバイスをし、そこで出来上がったのが知る人ぞ知る名器「ミニモーグ」だったのです。 彼はロックにシンセサイザーを取り入れた立役者の一人でした。
 今でこそ「キーボード」と一括りにされ、意識せずとも日ごろ耳にする音楽で使われているシンセサイザーは、この人がいなかったらどうだったか分かりません。

 クラシックではワルター・カルロス(後に性転換をしてウェンディ・カルロス)、富田勲ポップスの世界ではクラフトワーク、Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ)そしてロックの世界ではEL&Pがいたからこそ、これだけ認知される楽器となったシンセサイザー。
 実はそれ位影響力のある人でした

 まだ71歳なのに、拳銃自殺をしたらしいとのこと。
 何度も来日し、パートナーも日本人の方という親日家で東京ドームの前身、後楽園球場における土砂降りの中でのライブは伝説の一つにもなっています。

 早過ぎです。
 残念です。

 心よりご冥福をお祈りします・・・。
 (:_;)
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2016年02月05日

今度はアメリカで・・・。(:_;)


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 先月、イギリスでデヴィッド・ボウイ氏がなくなったばかりのところへ、今度はアメリカでR&Bグループ‘アース・ウィンド&ファイヤー’のリーダー、モーリス・ホワイト氏が亡くなった、という悲報が飛び込んできました。 数年前からパーキンソン病を患っていたということですが、74歳で逝去されたとのことです。
 「セプテンバー」「レッツ・グルーヴ」「ブギー・ワンダーランド」など数々のヒット曲を飛ばし、グラミー賞のR&B部門を受賞したこともあるグループで、日本でもディスコ・ブームのときにはお世話になった方(苦笑)もいることと思います。 自分も好きなグループでした。

 謹んでご冥福をお祈りします。
 (-人-)

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2016年01月11日

新年早々・・・。 orz


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 先日、近代音楽史に名を残すフランスの音楽家ピエール・ブーレーズ氏が、そして昨日10日にはイギリスのロック歌手デビッド・ボウイ氏が亡くなりました。

 ブーレーズ氏はドビュッシー以後、フランス最大の作曲家と言われたオリビエ・メシアンの門下となり普仏戦争では反戦を唱えたことで国外退去させられ永らくドイツで活動をした作曲家でした。 フランス文学科だったので学生のときに授業で学んだ人でした。

 デビッド・ボウイ氏はグラム・ロックと言う新ジャンルを確立した立役者の一人ですが、そのスタイルは常に変化し、80年代には大島渚監督「戦場のメリークリスマス」で坂本龍一氏やビートたけし氏と共演し話題となりました。 しかもその当時に発表したナンバー「レッツ・ダンス」はヒットチャートを駆け上ったもののあまりのスタイルの変化にコアなファンからは「ボウイは死んだ」とまで言われたものでした。 しかし、その後もザ・ローリングストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーと共演したりとカリスマ性は落ちなかった稀有なミュージシャンでした。

 ご冥福をお祈りします。
 (-人-)
posted by アント at 23:27| Comment(5) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

好きだったのになぁ・・・。orz


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 フランス(イタリア生まれだが44歳でフランスに帰化)のピアニスト、アルド・チッコリーニ氏が亡くなられました。 たらーっ(汗)
 89歳だそうです。

 わずか9歳でナポリ音楽院に入学を許可され、16歳でナポリのサン・カルロ歌劇場にて正式デビュー、22歳でそれまで学んでいたナポリ音楽院のピアノ科教授に同学院史上最年少で任命されたとのこと。
 その後もフランスで教鞭をとったりしたそうです。
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 色々な曲を演奏している方ですが、自分にとっては‘ サティ弾き ’のピアニストです。
 1960年代初頭にエリック・サティの初録音をしたのですが、その後にも見つかったサティの遺作を録音したりして結局1986年にサティ音楽全集を完成させました。

 サティは大好きな作曲家ですが、演奏指定の用語が彼独特 がく〜(落胆した顔) なため、演奏者によって随分変わる ふらふら のですが、チッコリーニは何度も聴いている るんるん せいか一番しっくりくるピアニストの一人でした。

 ご冥福をお祈りします。
 (-人-)

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2014年06月26日

影の立役者、逝く。


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 管理人と同じくらいの年齢の方ならご存知かも知れません。

 「すかんち」「真心ブラザーズ」などのサポートキーボードを始めとして、様々なシーンで活躍していたキーボーディストの小川文明氏が亡くなりました。
 まだ53歳だそうです。 がく〜(落胆した顔)

 自分は上記に挙げたバンドは実はそれほど聴いていないのですが、小川氏はリットーミュージック社の「キーボードマガジン」に長く連載を持っていて、それを読むのがとても楽しみだったことがあります。
 EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)のキーボーディスト、キース・エマーソンの大ファンで度々話題にしたり、日本での公演の時には駆けつけて楽屋裏の様子などもレポートされていました。

 実は1度、話こそ出来ませんでしたが、同じ講義を受けた事があります。
 シンセサイザーの生みの親、ロバート・モーグ博士の講義の席で質問に立ち、モーグシンセサイザーでどの型番のものが一番いい音が出るのか(何度かマイナーチェンジをしていたため)と嬉しそうに尋ねていたのを今でもありありと思い出されます。

 謹んでご冥福をお祈りいたします・・・。 もうやだ〜(悲しい顔)
 (-人-)
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2014年01月21日

2つの巨星・・・。(:_;)


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 個人的な思いだが、残念な訃報が2つ。

 闘病中だった佐久間正英さんが残胃がんで亡くなった。
 まだ61歳だそうだ。

 直接は知らなくても、JUDY AND MARY、BOOWY、GLAYなどのプロデューサー、と言えば分るだろう。
 ずっと以前、日本語ロックと呼ばれるものが台頭し始めた頃には「四人囃子」という前衛的なバンドを、シンセサイザーが出始めた頃には「プラスティックス」というバンドをやっていたことで知っている人もいるかも知れない。
 そして以前、このブログでも紹介したビビアン・スー、土屋昌巳、屋敷豪太、ミック・カーンと一緒にTHE d.e.p.というバンドもやっていた。

 偶然、昨年末にNHKで彼の特集を放送していたのを観ることが出来たのだが、病院から抜け出してレコーディングする様は鬼気迫るものがあった。
 「水も飲めないんだよ・・・。 病院にいれば点滴で水分取れるから楽なんだけど・・・。」と言っていたのを聞いて相当悪いなとは思っていたが、早かった・・・。
 最後のレコーディングとなってしまったその曲にはJUDY AND MARYのAKIRA、屋敷豪太、乃木坂46の生田恵理香(彼のいとこの娘、だそうだ。)などが参加していた。
 


 そしてクラシックの世界では知らない人がいない指揮者、クラウディオ・アバド氏が亡くなった。
 80歳とのこと。

 スカラ座の音楽監督などを務めてきた人だが、自分が知ったのはベルリンフィルの指揮者として着任したときのことだった。
 学生の頃で、記憶が確かならカラヤンの後任として就いたことで話題になったと思う。
 授業で先生が興奮気味に‘まだ若いが非常に素晴らしい指揮者だ’と言っていた気がする。
 しかし80歳にもなっていたとは驚いた。
 多分、華のあった最後の指揮者だと思う。

 2人の類稀なる才能がなくなってしまったのは非常に残念。
 ご冥福をお祈りします。
 (-人-)

posted by アント at 23:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月28日

残念・・・。


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 ギタリスト・ヴォーカリストのルー・リード氏が肝移植の合併症で亡くなった。
 まだ71歳だとか。

 多分、知っている方はそれなりの年齢層で、しかもそこそこ洋楽が好きであると思われる。

 しかし、ビニール盤やCDのジャケットは見たことがある人もいるかも知れない。

 元々「ヴェルベットアンダーグラウンド&ニコ」というバンドのギター&ヴォーカルだった。
 そのバンドは当時の前衛芸術家アンディ・ウォーホルと行動していた。
 そしてそのジャケットも彼がデザインしたもので、当時は‘物議’を醸したからだ。

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 自分が最初に知ったのは、ジャケットをウォーホルがデザインしたということからだ。
 その頃はポップアートが全盛であった。
 そして、少し後になって大好きなバンドの1つ、‘ジャパン’がカバーした「オール・トゥモロウ・パーティーズ」の元ネタがこのアルバムに入っていた、というのを知った。
 正直、アルバムの全曲を覚えているほど聞き込んではいなかったので、それを知ったときには手元にあったことで驚いた がく〜(落胆した顔) くらいだった。

 唯一無二、と呼べる人がまた去ってしまった。

 ご冥福をお祈りします。
 (-人-)
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2012年09月06日

これは楽しみ! o(^-^)o


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 ここの読者の方でも、音楽や楽器(キーボード、シンセサイザー)に興味がある人向けの情報なのだが、明日(7日)の深夜番組「タモリ倶楽部」で、何と往年の名器‘モーグV’を携えて作曲家の富田勲氏が出演する がく〜(落胆した顔) という。

 モーグ・シンセサイザー、と言えば研究用ではなく世界で初めて商業用として発売されたシンセサイザーで、その音は唯一無二、今でも愛好者は多く、使用された名盤は数知れない。
 富田氏はそのユーザーとして数々の伝説を持つパイオニアだ。
 (このモーグVで富田氏によって録音されたドビュッシーの「月の光」は歴史的1枚であると共に名盤として知られる。)

 通称‘タンス(箪笥)’ わーい(嬉しい顔) と呼ばれる大きな躯体が示すように、その存在感は圧巻の一言
 富田氏が輸入する際も楽器と認めてもらえずに税関ですったもんだし、通してもらえたのは鍵盤部分だけだった、とか、説明書が日本語であるわけでもないので専門用語の解釈に手間取り、音を出すのも一苦労、出たら出たで止め方が分らずに電源コンセントを抜いた・・・なんて逸話はザラにあるシロモノだ。

 今のシンセ(敢えてキーボードでなくシンセと言わせてもらおう)のように、作った音を記憶させてスイッチポンで呼び出すことが出来ないどころか、自分で各基盤の入出力部分を標準プラグコードで配線して音作りをする。
 しかも、そのときの気温、室温、楽器内の温度などによって出る音が左右される不安定な楽器だが、当時は画期的だった。

 時間が短いし、バラエティ番組なのでどこまで魅せてくれるかは心許ないが、最近では見かけることが殆ど無くなった名器を見る数少ないチャンスなので興味がある方にはぜひ見て欲しい。
 o(^-^)o
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2012年04月08日

楽器をやってりゃ耳にする・・・。


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 ロイター通信によるとエレキギターなどに使われるアンプのブランド「マーシャル」の創業者、ジム・マーシャル氏が5日朝、英南東部ミルトン・キーンズで死去したとのこと。88歳だったそうだ。
マーシャル氏は1923年、ロンドン生まれでドラマーとして活動を続けていたが、1962年にマーシャル社を創設した。

 楽器に興味を持つと必ず耳に入るマーシャルの名前。
 また偉大な人が亡くなってしまいました。
 残念です。

 合掌。 (-人-)
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2012年02月20日

むむむ…。


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 ドラムマシンシーケンサーバックアップ用のバッテリーがすっからかんだと言うので、自分で交換しようと思ってバラしたら、電池が直に半田付けしてあってガックリしたアントです・・・。
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 昨年、敬愛するYellow Magic Orchestra がアメリカはサンフランシスコでライブを32年ぶり(第二次ワールドツアー以来。 ウヒョーッ!!)に行いました。
 勿論、知っていても行かれるわけでもなく、某スカ○ーで放映したらしいのですが、普段TVを見る機会が少ないアントは加入しているわけでもありません。
 なので、このDVDが出るのはとても楽しみにしていました。

 最近は定期的に夏フェスでライブを行っていて、メンバー間のコミュニケーションもスムーズ(苦笑)なので、とてもまとまった演奏を聞かせてくれているお三方(サポートメンバーがいつも3人入りますが。)ですが、逆に若かりし頃のエッジを効かせたギラギラした部分が影を潜めているのは否めません。
 枯れた味が出ている、と言えばそれまでですが・・・。

 そして今回は選曲も渋いものが多いですが、32年ぶり、と言う事を考えると割りとサービス精神が旺盛な感じがして良かったのではないでしょうか。

 ただ残念なのは、時代の流れで多様なシンセサイザー群が教授(坂本龍一さん)の周りになかったこと(これは最近ピアノばかりで某NHKで番組をやっていたときもそうだったので覚悟してましたが。)細野さんのボーカルがもう一つ絶好調でなかった感じだったのと、シンセベースを全く弾かなかったこと、そしてエレキベースもヘフナー(ビートルズのポールが弾いて有名になったバイオリンベース)で全編通されたこと、ですね。
 特にアンコールの最後の曲(一応伏せておきます。(苦笑))はフェンダーでないとなぁ・・・思ったんですね。
 ヘフナーは余韻が短く‘ボンッ’とアタックが強い、割とウッドベースっぽい感じなので、余韻が長く欲しいときには‘ドーンッ’と重く伸びるフェンダーのジャズベース(もしくは同じ開発者のミュージックマン)がいいのですよ・・・。

 大好きな曲(最初に聴いたときは冗談でなしに泣いたし、今でも鳥肌が立つんです・・・。)だっただけに、‘えええっ・・・?’という気持ちでした。
 ライブで何本もベースを持ち変える人ではないので、まさか・・・とは思ってましたが・・・。
 o(>_<)o

 でも、明らかにこの3人の登場で日本の音楽シーンが変ったわけですから、直にその瞬間に立ち会ってる今の空気をかみ締めて、もう1度観ようと思います。

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2012年02月12日

海外でも落ちた・・・。


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 アメリカの歌手、ホイットニー・ヒューストンさんが亡くなりました。

 1992年の映画カチンコ「THE BODYGUARD(ザ・ボディガード)」ケビン・コスナーさんと主演されてサウンドトラックでも、「I Will Always Love You」「I'm Every Woman」などの曲をヒットさせたのを覚えている方も多いでしょう。
 私生活では残念ながらDVに悩まされたり、余り幸せとは言えなかったかも知れませんでした。

 でも、まだ48歳だそうです。
 これからの復活も期待出来る年齢だったと思うと、とても残念です。

 ご冥福をお祈りします・・・。
 (-人-)


 P.S. ホイットニーさんは12日に行われるグラミー賞の授賞式に出るためにロスアンゼルス入りし、その前夜祭で歌を披露する予定だったのですがその数時間前に亡くなるという急なものでした。
    現在(13日0時過ぎ)もまだ死因は発表されていません・・・。
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2010年08月06日

久々〜。

 
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 夏、と言えば各種イベントが1番多い季節ではないでしょうか。
 なんて言ったって1年の中で1番の長期休暇、しかも冬の長期休暇と違って身動きが取りにくくなるわけではないですからね。

 

そんな中・・・。
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2009年08月25日

うーん、伝説の名手だが・・・。

 
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 今回は、オススメ、というより(自分にとって)ウ〜ン、というCDです。
 あ、でも最初に言っておきますが、伝説クラスの名手なんですよ?


その正体は・・・
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2009年08月16日

やっと、この季節!

 
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 連日暑くなり、ようやく夏!という感じになってきましたね。
 (でも、東北って梅雨明けしたっけ・・・?)

 ただ、それに連れて水の事故が増えているようです。
 皆さん、お気を付け下さいネ。


 こう、暑くなると寝苦しくなり、朝、起きるのが大変ですよね。
 特に自分はテキメンです。(苦笑)

 ・・・が、そんな朝を吹き飛ばす‘必殺武器’があるんですね。
 そのために暑い夏を毎年待ち望んでいる部分もあるんです。(笑)




そんな救いの手とは・・・?
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2009年07月23日

こんな天気のときには・・・!

 
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 何か、イマイチでしたね、皆既日食・・・。 orz

 七夕もそうですが、一年に一度、何年に一度という天体ショーがあるときの晴天の確立が、ここ数年すこぶる悪い気がします・・・。

 戻り梅雨とかで、またしばらくぐずついた空模様が続きそうですしね。


こんなときの気分転換には・・・。
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2009年06月26日

伝説がまた・・・。


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 ジャズの帝王がマイルス・デイビス、ファンクのキングがジェームス・ブラウンなら、ポップスの王はこの人でしょう。

 マイケル・ジャクソン氏が亡くなりました。
 享年50歳だそうです。
 今度の7月13日から復活コンサートをイギリスはロンドンで行う矢先でした。

 80年代の大ヒットアルバム「スリラー」は何枚売れたか正確には分かっていません。
 推定1億枚だそうです。

 一体、今年は何なんでしょう?
 若くして亡くなる大物が多すぎる気が・・・。

 ご冥福をお祈りいたします。 m(_ _)m


 〈追記〉

  やはり、7月の公演は延期が決まっていたようでした。
  車椅子でいるところも報道されていたので、4時間半に渡る健康診断でコンサートのGOサインが出ていたとは言え、決して万全ではなかったのかも知れません・・・。
posted by アント at 15:01| Comment(9) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

い・け・な・い ・・・。

 
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 − やっぱり、どうして知り合ったかって話から聞かせてよ。

 (中略)

 坂本   : それでね、RCのレコード聴いてもっとこの音のほうがいいとか、トラック・ダウンはこのほうがいいとか、ミキサーとしてやとってもらおうかなあとか(笑)、いろいろ思ってたのね。
         どういう風に一緒に仕事ができるかなあと、まあ漠然と考えてたの。
         それを知ってか知らずか、Mって人が無理矢理に仕事を作ったわけ。
         Mさんは知ってたのかなあ、RC好きだっていうこと。

 清志郎 : 『軽罪新聞』(RCのファン・ペーパー)に糸井(重里 : コピーライター)さんがね、「一緒に(RCの)ビデオ見て騒いでる」とか書いてたから。

 坂本   : エーッ、ほんとに?

 (中略)

 
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 − ふたりが初めて会ったのは、12月26日って聞いたけど。

 清志郎 : そう、26日。
        そんときはね、彼が遅れてきたのね。

 坂本   : あ、そうだ。

 清志郎 : すごく、なんかオドオドしてる感じでねえ、好感が持てたんだよね。(笑)

 坂本   : そうかあ、アガッてたんだよ。

 (中略)

 − というわけでやることになったんだけど、具体的にはどんな風にやっていたの?

 (中略)

 清志郎 : あのね、驚いたのはね、スタジオに入る前に練習スタジオでやんの。
        曲作ったりね。
        なんか、作り方が(RCのときと)おんなじっていうか、似てるっていうかね。

 坂本   : そうか。

 清志郎 : ウン。勝手にコード出してきてね、「うん、こうかな」みたいな感じで。
        他の人とは今までやったことなかったから、どういう作り方するのかな、というのはあったんだけど、全然違和感がなくてね。
        自然にできちゃったね。

 坂本   : そーか、良かった良かった。

 (中略)

 
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 − 実際のレコーディングも、いつもと同じ感じだった?

 清志郎 : ウーン、やっぱり録り方というか、やり方は全然違うね。

 坂本   : それはやっぱり、RCはバンドでさ、ステージで出来るような形で、セーノでやるでしょ、ボーカルも。

 清志郎 : うん、殆どステージと同じっていうか。
        (坂本が)何か1人でコツコツやってるからさ(笑)、本番じゃないのかと思って。

 坂本   : またデモ・テープ作ってるんじゃないかって。(笑)

 − メンバーは、坂本クン、清志郎クン、それからチャボ(仲井戸麗市)の3人だけ?

 清志郎 : そう。

 (中略)

 − 2人の今後の予定は?

 清志郎 : まあ、今んとここの曲をどのように普及させるかということを・・・。

 坂本   : それによっても変わってくるよね。

 清志郎 : でも、機会があればぜひ。
       まとめてアルバムだすとかさ。

 坂本   : うん、やる気になれば、いくらでも出来るし。

 (中略)


 
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 − 清志郎クンはRC以外とやったことなかったっていってたけど。

 清志郎 : うん、なかったね。
        曲を作ったくらいで、チョコッと。
        これからはね、うーん、どうかな。
        別に考えてない。
        やっぱり、今回みたいに、おもしろくて楽に出来るという。

 坂本   : あの、曲作る人も一杯いるでしょ。
         曲作る人と詞を作る人が、最後まで全然知らないままっていう場合もあるし。
         そういうやり方じゃ無理だと思うのね。
         だから逆に、おもしろくて楽に出来るっていうのは、それなりのセッティングも必要だと思うし、清志郎の詞とか曲が生きるようにするっていうのは、結構大変だと思うよ。
         だから、彼を知ってないとさ、ダメだと思うよ。

 清志郎 : アー。

 坂本   : 今のトコ、ボクが知ってる人で、清志郎の曲をちゃんと歌える人はあんまりいない。
         自分で歌ったほうが百倍位いい。

 − でも、歌いたいと思う人は多いだろうね。

 坂本   : それがいいとこなんだね。
         誰もが聴いたら歌いたくなるような曲なのに、誰も歌えないみたいなね。
         そういう意味で、清志郎は一番ポップス性としては高級だと思うね。

 【 『FMファン』 ’82年3月15日号 】
posted by アント at 19:45| Comment(12) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする